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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ メディアカテゴリー

カテゴリ「メディア」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
一つ前のカテゴリーは、「マンガ&アニメ」です。 次のカテゴリーは、「仕事」です。

1999年08月26日

 今日、秋葉原の Duty Freeショップでマルチタイプのテレビとビデオデッキを見てきたのだけど、ずいぶんと安くなりましたねえ。ソニーの29インチのフラット・ディスプレイが129,800円でした。もちろんNTSCオンリーの国内モデルに比べればかなり高いけど、数年前に比べれば、すげえ安くなったっすね。日立の21インチのなら29,800円です。
 
 ただ、問題がひとつ。NTCS、PAL、SECAM対応のモデルはかなりあるのだけど、いずれも France SECAM には対応していない。SECAMって、たしか一番「方言」の多いフォーマットだったと記憶しているのだけど、マルチタイプでは France SECAM が味噌っかすなんですね。こりゃ困った。
 んで、知っている人がいたら教えてほしいんですが、フランスで販売されている最近のビデオデッキのほとんどは、出力信号はPALだったという記憶もあるのだけど、そうでしたっけ?
 もしそうなら、フランスで買ったビデオデッキでも France SECAM に対応していないテレビに接続できることになるんですが。
 
 ちなみにマルチタイプのビデオの方は、AIWA から売値 84,800円で売られてました。こちらは France SECAM にも対応していて、入力・出力は NTSC、PAL、SECAM のすべてに対応している。SECAMで録画されたテープをNTSC出力してNTSCでダビングする、なんてこともできるんですね。
 いやしかし、日本はほんまに家電とガソリンが安いわな。


1999年05月03日

電子ブックの実験的販売サイト「ほん・まるしぇ」がなんとかスタートにこぎつけた。もともとは岬兄悟さんより、デジタル・テキストの販売方法について相談を受けたのが話の始まりであった。その後、趣旨に賛同してくれたいろいろな作家さんのご協力により、ひとつの販売コーナーとして実験を開始できることになった。


1999年02月03日

 『個人教授』は何度も見ました。あの映画でレーサーの男がパリ市内で走らせていた車(渋滞のせいで、ルノ・ベルレーが原付で簡単に追いついちゃったやつですね)、たしかランボルギーニ・ミウラだったんじゃなかろうか。イタリアのガンディーニがデザインした、おそらくは史上最も美しい市販車(といっても、いわゆるスーパーカーだけど(笑))ですね。
 その後はフェラーリをデザインしたピニンファリーナの方が有名になったけれど、ファリーナに大きな影響を与えたのが、ガンディーニのミウラ、なんていわれてます。確かに雰囲気自体、ミウラはフェラーリっぽい(本当は反対なわけなんだけどね(笑))。パリ市内でも時折ランボルギーニ・ディアブロが走っているけれど、こちらはなんかメカゴジラのようで、ミウラの面影は皆無(;_;)。


1998年10月22日

 我がニッポンには羽島知之さんという有名な新聞コレクターがおりますね。再来年に横浜でオープンする日本新聞博物館には、羽島氏のコレクション十万点が目玉コーナーとして登場します。氏は六〇歳過ぎの方ですが、コレクションは高校生のころから始めたそうな。
 ちなみに日本最初の日刊新聞は「横浜毎日新聞」ですが、この正式紙名が最初は「横浜新聞」だったのか、初めから「横浜毎日新聞」だったのかが、かつては諸説入り乱れて不明だったそうです。それが後に羽島氏のコレクション上のライバルが創刊第29号を発見して創刊当時から「横浜毎日新聞」であったことがわかり、後に羽島氏自身が創刊号を入手し、創刊日も確定できたそうです。明治3年が最初の日刊新聞の生まれた年なんですねえ。
 以上、ネタ元は『コレクター骨董市雑学ノート』(ダイヤモンド社)です。この本の著者・景山忠弘氏は、相撲グッズ・コレクターとして有名な人です。ダイヤモンド社の雑学ノート・シリーズには、ワタクシの『マンガ古本雑学ノート』というのもありますんで、これを機会にご一読を(笑)。


1998年10月19日

 今日までうちの近所で開いていた brocante に行って来たのだけど、90年以上も前の新聞をいくつか買ってきました。まずひとつが、「Journal des Voyages」。表紙にはおおきなイラストが入っていて、日本関係のを探してみたところ、

 13 decembre 1913 episode de la guerre Russo-Japonaise
 5 janvier 1913 Le nouvel an du vieux Japon
 7 fevrier 1909 Komousso au Japon
 5 decembre 1909 "HAKA-BA" cimetiere Japonais

 なんてのがあった。これに numeros speciale を二部、合計6部買いました。値段は1部5フランだったけど、合計で20にまけてくれた。元の値段は一部15サンチームです。
 別の店でこんどは「La Vie au Grand Air --magazines sportifs illustres」というのを発見。スポーツ・ジャーナル誌ですね。ぱらぱらと見ると、1903年ごろのがある。フランスで世界最初の自動車ロード・レースが開催されたのが1895年(パリ〜ボルドー)、その7年後なので、モータースポーツ関係が一面に写真入りで掲載されているのを買いました。当時の自動車の写真とか、De Dion-Boutonなどのメーカーの広告が載ってたりして、けっこうおもしろい。
 こちらは一部10フランで五部買ったのだけど、これまた40フランにまけてくれました。最終日だったから、値切らなくてもまけてくれたのかな。
 ほかにも辞書を安売りしている店がありました。Hachette の「Dictionaire Encycropedique de la Langue Francaise」がたったの49フラン。正価が350フランですから、どえらい安さですね。古本ゆえ、ちょっとくたびれてはおりますが。町田さんがこのときいたら、絶対に買っていたんじゃなかろうか(笑)。


1997年09月26日

 イギリスのゴシップはタブロイド誌、フランスの場合は Voici、Gala、Paris Match などの大衆誌なんだそうです。世界に名を馳せたパパラッツォ Mario Brenna の例の写真(キスシーンね)に対し、Paris Match は 1.2M Frs を提示したとのこと。独占掲載した Daily Mirror は当然もっと高いカネを払ったのだけど、その後も掲載希望誌が多かったので、最終的には 10〜30M Frs になったのではないか、っつーことです。


1997年09月17日

 フランスでは、itineris と市場を二分している SFR の加入者数(GSM およびアナログ)が97年7月31日現在で 1,401,187人です。その時点での携帯電話普及率は 6.54パーセント(対人口比)と見積もられているそうで、アメリカや日本よりも少ないんじゃないのかな。ニッポンは PHSとの合計ですでに10パーセントを越えているでしょ?
 アメリカはそれ以上のはずだし。
 まあ、ヨーロッパというのは「周回遅れのトップランナー」ですから。


1996年02月10日

 あれは昨年の10月、Luxembourg 公園まで子連れで散歩をした帰り、Raspail 通りを Montparnass通りに向かって下っていたのであった。道の反対側に Alliance Francaise が見えるあたりに Larousse の Agence が一軒あるのだけど、店頭に CD-ROM が置いてあったのでした。店のなかには年輩のおぢさんがひとり。電話で応対中でした。パンフレットぐらいもうらおうかな、と思ってなかにはいったら、おぢさんがけげんそうな顔つきでこっちをにらみおった。
 でまあ、百科事典の CD-ROM版があればほしいといったら、あれは百科全集を買った人におまけで付けているだけだ。CD-ROMの単品販売はやっていない、とのこと。この百科全集が 8.600 FTTC もするのである(といっても、ラルースの百科全集がこの価格ならぜったいに安い)。
 結果的に買ってしまったのだけど、CD-ROM はいまにいたるまで受け取っていないのであった。リリース予定は10月21日だったんだけどね(笑)。


1996年01月06日

 以前、ほとんど買おうかと思ったときに、端末の値段がふたつついていたんでなんとなく手を出せなかった。4000 FTTC ぐらいの「正価」らしきものと、1000 FTTC ぐらいの「キャッシュバック後」のようなものと。rembourse なんて出ていたから、購入時に正価をはらっても最終的にはかなり戻ってくるのかな、なんて思った。
 GSMってたしか欧州共通インフラだったと思うのだけど、だとすると、近い将来、フランスの携帯電話をイギリスやドイツでもそのまんまつかえる、なんて考えていいのだろうか?
 ニッポンの携帯電話価格は大暴落だね。10月末に石○で 49.8K JPY で買ったのが、いまは 30K JPY 前後になっている。業界ルート(笑)で流通しているセルラー系のなんて、加入料込みで 12K JPY だそうだ。これだと端末価格分は 3K JPY ぐらいしかしない。もうめちゃくちゃ(笑)。
 ニッポンの PHS はオーストラリア、シンガポールが採用しましたね。これ、モービルのデータ通信用には決して悪い仕組みではないと思う。問題はマイクロ・セルラーであるがゆえのカバー領域の問題だけど。わざわざグレ電の近くまで行って、ボックスの外で通信するってのもなんだかなあ。


1996年01月01日

 フランスでも最近は携帯電話加入者が増えている。うちにもフランス・テレコムからセールスの電話がきたくらいだ。広告でも盛んに宣伝している。
 携帯電話とは別に、Bi-Pop もけっこう人気があったような気がする。たしかこれは日本のPHSとおなじような仕組みだったと思うけど。
 自動車電話や携帯電話の総称はセルラーフォン、フランス語なら celluleur-phone なんだけど、この単語はフランス人にもそんなに知られてないみたい。「それは telephone sans fils だ」なんて平然というひとが多い。まあ、日本でも「セルラー」ったら、電話会社の名前だと思うひとが多いだろうけど。



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