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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
■ 風俗・文化カテゴリー カテゴリ「風俗・文化」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。 一つ前のカテゴリーは、「音楽」です。 次のカテゴリーは、「食・飲」です。 |
なんでも「色が紫」「アンテナの逆三角形」というのもゲイのシンボルってことなんらしい。まあ、テレビ伝道師の売名行為という批判が強いようだが。
オープニングの「C'est l'heure de Teletubbies, c'est l'heure de Teletubbies. Dans la colline loin de chez nous...」というあたりは、完全に頭にこびりついてしまった。
セロテープをスコッチというのは、フランス国内もおなじですよね。
ただし、日本ではこの「セロテープ」も特定商品名となっており、報道用語としては「セロハンテープ」が正式です。キャタピラとかセスナなども特定商品名で、報道用語としては無限軌道、軽飛行機と書き換えるのが原則になってます。ただし、レーザーディスクのように、商標を持っている側が一般呼称として用いることを認める例もありますが。
こうした言い替えは、放送ではNHKがとくに厳しく、かつて紅白歌合戦で、みなみこうせつとかぐや姫が「神田川」の歌詞に出てくる「クレパス」を「クレヨン」に言い替えたり、山口百恵が「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」に言い替えた例がありました。ほかにもあるんだろうけど、この二例がとくに印象的。
もちろん以上はマスメディアの現場の話であって、一般の世界ではさまざまな商品名が一般呼称化してますよね。日本でいえばオヤジ世代はコピーのことを「ゼロックス」と言いますし。かつてはティッシュ・ペーパーを「スコッティ」「クリネックス」と呼ぶ人も多かったと思います。
あ、そうそう、特定商品名で思い出した。アデランスも商品名から日本語化したフランス語ですね。でも adherence の方は「接着」とかって意味が強いし、自動車レース用語でも「グリップ」のことを adherence といいます。
薩摩治郎八については、パリ在住の画家・加藤一さんがときどき講演をおこなってます(『せ・し・ぼん』は加藤さんに依頼されて検索・購入いたしました)。加藤さんは画家になる前は競輪の選手で、ヘルシンキ五輪の代表に内定していたところ、プロ転向によって辞退なさった方です。ドゴール時代にパリに渡り、以来、フランスの自転車選手との親交を深めた結果、日本にツール・ド・フランスを紹介することがかなったそうです。で、そのときにフランス政府との交渉に尽力してくれたのが、やはり薩摩治郎八だとか。
あとは藤田元嗣のパトロンでもあったそうです<薩摩治郎八。ただし、カネは出すけど口は一切出さないという belle epoque な大旦那芸の持ち主だったそうで、それに恩義を感じた藤田が、Cite Universite 日本館設立の際に自分の絵を寄贈した、という話があるらしい。
この薩摩治郎八の人生は、本宮ひろ志がマンガにしそうな一生ですね(笑)。生まれ育ったのが神田近くの敷地3万坪の大旗本屋敷。生家は元士族で治郎八の祖父が綿の取引で巨万の富を築き、父は粋人だったそうで、治郎八自身、小さなころから芸者遊びに興じていたそうな(笑)。
ハタチのころに最初はロンドンに、すぐにパリへと渡り、都合30年間ほどをパリで過ごしたそうな。戦前には数々の文化的功績でレジオン・ドヌールを受勲、第二次大戦中のナチ占領下のフランスにあっては、ドイツの友好国・日本の国民かつレジオン・ドヌール受勲者という立場を活かし(ドイツにもビシー政権にも顔が利く)、数々のフランス系ユダヤ人を助け出したのだそうです。
で、フランス滞在中はとにかくケタ違いのカネを遊びに使い、総額は現在の貨幣価値に換算すると500億円ぐらいだったらしい。そんなわけで、晩年は禁治産者にされたそうな。亡くなった土地は徳島なので、現在では徳島に「バロン薩摩の会」という集まりがあるそうです。
フランスの戸籍法はとてもマッチョで(笑)、結婚したときの女性側の名前は自動的に旧姓プラス男性姓になってしまうのです(旧姓がミドル・ネーム的になる)。で、子どもの名前は男性姓になる。日本のような選択幅は一切ないのですね。ですから女性が公的な文書に名前を登録するときは、夫の姓だけでなく旧姓を記入するのが一般的です。
滞在許可申請などで両親の名前を記入するときも、母親の方は旧姓も記入しなくてはいけません。ぼくの両親は母方の姓を選択していたので、かつて滞在許可申請をおこなった際、当然ながら母親の現姓と旧姓が一緒になってしまう。で、係員から「nom de neune fille の意味がわかるか?」と確認され、日本では妻側の姓を選択できるからと説明したら、それは非常に民主的でよろしいですねと答えておりました(笑)。
ただ、ぼくが一般に知っていた用例は、
Madame 本人のprenom 旧姓-夫姓
が多かったので、Madame Jacques CHIRAC に違和感が大きかったのですね。個人の名刺では当然ながら「本人のprenom 旧姓-夫姓」という形式ですから。
carte de residence は一般に「正規滞在許可証」と呼びます。俗には「10年カード」ですけどね。うちは滞在期間が一度中断したことになっているので、今年はやっと10年カードが申請できる。
ワタクシは日本で出た大学の学部は理学部なんですが、フランスで留学したところを日本の学部にあわせれば、経済学部、工学部、文学部という無節操さだったのですね(笑)。こういうアホなことができたのも、ひとつには最初に 3e cycle の diplome を取ってしまったのと(これで最終学歴がフランスの高等教育機関になりましたから、以降の手続がどえらく簡単になるのです)、産業アナリスト時代に膨大なジャンルに手を染めていたから、だと思います。
いやもう、日本の悪いところ・フランスのいいところってのは、フランスでは勉強したくなったときに、目的にあわせて登録できる高等教育機関の選択幅が広い点ですね。無意味な背伸びはできないけれども、きちんと交渉すれば実績をちゃんとカウントしてくれますから。
日本人の企業実務経験者は、知識があるがゆえにフランスの grandes ecoles にはけっこう歓迎されるんですよ。それは向こうの教授が日本の知識を知りたいから、なんですね。たとえばグルノーブル第二大学で企業内コミュニケーションを教えている Lesca というけっこう有名な教授がいるんですが、この人はずーっと「共同研究者」となりうる日本人企業マンを探し求めていました。
大学の DEA過程では学生はそれこそ machine a ecrire 状態ですが、ケース・スタディをいやってほどやらされる経済・商業系 grandes ecoles が企業実務経験者を積極的に受け入れるのは、志願動機もさることながら、学生からどれだけフォードバックが得られるか、なんてことも評価対象になります。この点、露骨なのはアメリカのビジネス・スクールで、日本では金融システムが遅れていると見なされているので、メーカーからの留学生は積極的に受け入れても、銀行・証券からの志願者には冷淡、なんてことが実際にあるようです。これはどはフィード・バックを期待できないと見なされた結果でしょう。
フランス国内で MBA という diplome を出しているのはヨーロッパ経営大学院(INSEAD)と「トップ6」の一つPont et Chausse(こちらは正確には MIB と呼んでいたと思う)だけですが、現実には HEC や ESSEC の正規過程(2e cycle)の方が、フランス国内では MBA よりステイタスは高いですね。何年か前だったか、ヨーロッパのビジネス・スクールの hit-parade がいくつかの雑誌に掲載されていましたが、HEC がトップで ESSEC が3位だったんじゃないのかな。経済・商業系グランゼコールは、実際にはビジネス・スクールとほぼ同一視されているんですね。
フランス人学生のあいだにも MBAブームがおきましたが、それはアメリカ系企業に就職する手段として認識されているようです。フランス系あるいはヨーロッパ系企業への上級管理職コースとなると、依然として HEC, ESSEC が強いですね。この二校出身者はしばしば「chou-chou」と呼ばれてますね(笑)。
DEA は今では完全に doctrat の準備過程という性格を明確にしています。かつてはおなじ 3e cycle の DESS から doctrat に進むコースもあったらしいですが、いまでは DEA が definitif になっています。逆に、就職への実務的な知識を得るという目的を持つ学生は、DESS を好んで選択する、なんてことが L'Etudiant に載っていたと思います。
DEA の場合、登録が比較的簡単であるために、maitrise取得済みの学生の多くは「腰掛け」にしているケースが多いのです。日本と違ってフランスは通年採用であるため、求職期間が半年前後あるのが普通です。で、DEA 登録者は就職先が見つかるとさっさと学校を辞めてしまうのですね。
で、L'Etudiant の発表する初年度年収ランキングによれば、トップは HEC, ESSEC の二校で、DEA 取得者はトップ2よりも平均年収は15パーセントほど落ちます。ことキャリアパスを考えるかぎり、DEA はほとんどメリットがないのですね。
人材交流や若手幹部要請という目的には少数精鋭が必要になりますので、登録が容易なフランスの大学制度は基本的になじまないんですね。しかも DEAは授業時間がきわめて少ない。ゼミを含めても拘束時間は年間300〜400時間程度です。
これが経済・商業系グランゼコールになると、授業料は大学の50倍以上もするけれども、学生数が少ない上に、授業時間が800時間以上ある。実務で DEAが効力を発揮するのは、アナリストとかジャーナリストなどの独立専門職でしょうね。
グランゼコールの場合は、学校によって留学生の受け入れ条件がまったく異なります。どの年次から入学できるかも、日本での学歴・実務歴によって異なり、すべては「交渉次第」といっていいでしょう。ぼくは ESSEC という経済商業系グランゼコールの 3e cycle に6年前に留学しましたが、そのときはフランスで学部長と直接面談して交渉しました。
ただし、グランゼコールには国立と半官半民のところとがあって、国立の場合はもうちょっときちんと制度化されているかもしれません。一般に日本の大学学部卒であれば license を持っているわけですから、少なくとも 1er cycle は免除されます。ただし、グランゼコールによってはいきなり 2e cycleから始まりますので(Polytech や Normale などがそう)、そういう場合は、学年としては第一学年からの開始になります。
ええっと、日本の獣医学科って6年で卒業でしたっけ?
もしそうであれば、4年生となると卒業見込みですらないはずですから、1er cycle の免除も交渉次第になってしまうかもしれません。もしも4年で卒業ということであれば、交渉次第ではいきなり 3e cycle に編入してもらえるかもしれません。ただし、グランゼコールによっては、3e cycle は大学との共通 diplome しかないところもあります(登録先はグランゼコールでも、実際の教授などは大学側)。そのあたり、獣医学関係のグランゼコールの制度がちょっと不明なので、ややわかりかねるところがありますが……。
念のために説明しておくと、フランスの高等教育機関の過程は、
1er cycle:日本の一般教養課程にほぼ相当(2年)
2e cycle :日本の学部専門課程+前期博士課程にほぼ相当(2年)
3e cycle :日本の後期博士課程にほぼ相当(4〜5年)
注意しないといけないのは 2e cycleで、一部の学部を除き、最初の一年で学士号(license)が与えられ、次の年に修士号(maitrise)が与えられます。つまり、日本の修士課程卒業は、フランスでは大学4年修了と「同格」とみなされる、というのがタテマエなのですね。
ただし実際には、日本の大学で修士号と取っていれば、同一専門ジャンルなら、いきなり 3e cycle の DEA(あるいは DESS)過程に登録できるはずです。また、グランゼコールはさらに柔軟で、学部卒でも実務経験があれば 3e cycle への登録が認められ、ぼくもこのケースに相当しました(専門ジャンルが違っても可)。
……ということで、実際にどういう扱いになるかは、本人みずからが留学候補先の学部長ないしは指導教授に直談判しないかぎり、なんともいえません。フランスに留学しようと思ったら、まず第一に指導教授を見つけることが第一歩です。逆に指導教授を見つけることができたら、かなり細かなケアまでしてもらえます。
高速道路の追い越しでは、フランスとドイツとがけっこう対照的です。ドイツではまず間違いなく左側の車線からしか追い越しません。逆に、速度無制限区間でいちばん内側の車線を走るときは、最低でも150キロを出すのが「鉄則」という感じですね。
これがフランス国内だと、右から追い越していく車がけっこう多いんですよねえ。とくに地方からパリに向かうとき、periまで20キロぐらいの地点になると6車線ぐらいになったりしますが、のんびり走りたいときは右側2車線にいないと、左右からびゅんびゅん抜かれてけっこう怖いですね。
東西のルールの違いといえば、地下鉄の乗車でも東京はどこも自然に列ができるけど、大阪はてんでにバラバラ、なんていわれてましたね。パリは大阪式です。だけど今年の8月に仕事で大阪に行ったら、なんかみんな列を作っていたような気がするのだけど、習慣が変わったんですかねえ。個人的にはてんでにバラバラでいいじゃん、とか思うのだけど(笑)。
★★★レストランでもないのに札のチップっていうのは、たしかに悪趣味って感じですねえ。支払が 700 Frs、人数がかりに四人なら、置いてもせいぜい 40 Frs じゃないですかねえ。それでもよほどサービスがいいとかって場合あと思うけど。
今年の夏にオーストリアのザルツブルクで何度か食事をしたときは、どの店もカード明細のチップ欄を空白のままスリップを持ってきたので、キリのいい数字を足してチップ込みで決済したのだけど、小銭をまったく置かずに去るのは、なんとなく物足りない感じがありました(笑)。
原則的に「好きな大学へ行ける」ですね。
ただし、大学・学部によっては先着順なので、出遅れると入れないところもあります。二年前だったか、どこかの大学の医学部がミニテルで登録を受け付けたところ、二分ほどで予定数が埋まってしまい、ちょっとした問題になったことがありましたね。
Bac の成績が問われるのは、大学ではなく grandes ecoles に入ろうとするときです。こちらは Bacによるフィルタもあれば入試もあるので、日本の大学入試よりも厳しいといっていいでしょう。あと、就職のときなんかも、けっこう Bacの成績が問われることがあります。
フランスの大学のなかでも、パリ大学(とくに第4、第6、第9)は人気があり(場所柄のせいでしょうね)、そのために、毎年10〜12月は慢性的な設備不足状態になります。10月の新入学生のデモはすでに定例化してますわな。大学の方も、「さっさと半分ぐらい脱落してくれねぇかな」と思っているんじゃないっすかね、新学期は。
アメリカだって恵まれた高等教育機関というのは、けっこう入学のハードルも高いですね。まあ、誰もが入りたいと思うところにはかならず競争があるわけで、それはフランスだろうが日本だろうがアメリカだろうが、結局はおなじってことです。日本だっていまは総定員数の方が志願者数よりも多くなったんじゃなかったっけ。
ブートン氏はド・ディオン伯爵の(今でいうところの)メカニックかなんかだったんじゃなかったのかな。このあたり、ちょいうろおぼえ。
世界初の自動車レースといわれるパリ〜ルーアンの計時走行会(ド・ディオン伯爵の運転する蒸気自動車が一番時計を記録)は、たしか Porte Maillot がスタート地点になったハズですぜ。その近辺に記念碑があるそうっす。
個人的な経験としては、
■個人的に知り合ったアメリカ人には「いいやつ」が多い。
■商売で接したアメリカ人はなかなか手強い相手が多い。
■都会のいろいろな店のアメリカ人店員は sympa だ。
■高級ホテルの従業員のなかには「やなやつ」がけっこういる。
■アメリカ政府は大っ嫌いだ。
というところですね。ぼくぐらいの世代(59年生まれ)だと、小学生のころに「ルーシーショウ」とか「じゃじゃ馬億万長者」「奥さまは魔女」などのアメリカン・ホームドラマの洗礼を受け、高校生のときに「バイオニック・ジェミー」や「チャーリーズ・エンジェルズ」を見てきたので、まあそれなりに American way of life への憧憬が残っているんじゃないのかな、という気はいたします。テクノロジーにしたって、「アメリカの方が圧倒的に進んでいる」という潜在的な認識があるので、ハイテク国家ニッポンといったって、どこかウソ臭く感じるし。
逆に、フランスの原風景的なイメージとなると、「おそ松くん」のイヤミなんすよね。フランスっていうよりも「おフランス」って感じ。
シャルティエの研究によれば、フランス革命当時、ポルノ小説は「哲学書」に分類されていたのだそうです。
こういうジョークをつくったことがあります。
夜6時に某の家でパーティをやることになった。
イギリス人は5時半にやってきた。
日本人は6時5分前にやってきた。
アメリカ人は6時ジャストにやってきた。
フランス人は6時半にやってきた。
そして7時になって、アラブ人から「いまから行く」と電話が入った。
そういや一時期、高校の数学過程で群がありましたね。あれはほんまに群の定義を教えるだけで、「だからなんなの?」で終わるえらく中途半端なものでした。
群の定義自体はガロアではなくコーシーがおこなったものです。今日、置換群と呼ばれるものをいわば気分転換のパズルのようにこしらえたようです。これ、日本風にいえばアミダくじです。
フェルマーの定理は結果的に谷山・ヴェイユ予想の証明に帰着しましたが、ここに登場するヴェイユはフランスの高名な女性政治家シモーヌ・ヴェイユの兄で、レヴィ・ストロースの構造主義人類学に啓示を与えたことでも知られております。
日本やヨーロッパでは整数論というと代数学の一ジャンルと見なされる傾向が強いのですが、これは高木貞治とかアルティンという大数学者が開拓した代数的整数論という下地があったからです。その一方、アメリカではむしろ解析的整数論が整数論の中心で、その流れをリードしていたのがプリンストン大学の岩澤謙吉教授です。故・谷山もフェルマーの定理を証明したワイルスも岩澤先生の弟子にあたりますね、たしか。
昨日は友人と「consommation pour consommation」についてチクと議論しました。まあ、おもしろいと思うのは、こういう現象が発生している社会は世界中でもアメリカと日本の一部だけなのに、消費社会論ではボードリヤールとかブルデューなど、フランスの社会学者が圧倒的にリードしている点なんすよね。ブルデューは College de France で公開講座を開いているので、いつか行ってみたいと思っております。
産経新聞の Webを見ていたら、「いじめ厳罰 仏で新法案」なんて記事が掲載されたいた。加害者には加害者には禁固六月と罰金五万フランが課せられるんだそうです。
ぼちぼち街中では顔面をペイントして、青いポリ袋をかぶった新入生が登場する季節だけど、80年代からは高校での陰湿なイジメや、グランゼコールの女子新入学生への性的いやがらせが顕著になっているそうな。そういやホントかどうかしらないけど、bizutageのなかには、「闇鍋」ならぬ「闇フェラチオ」みたいなのもあった、なんて話を聞いたことがある。
でまあ、「性犯罪の予防と未成年の保護」を目的とした法案のなかに、こうしたイジメを防止する目的の法案が提案されたんだそうです。
この記事は産経新聞の山口昌子記者の署名記事だけど、この山口さんてパリ駐在員(だと思う)、以前からフランス関係では精力的に記事を送っている人なので、フランスのニュースに興味のある人は追いかけてみる価値があると思いまっせ。日本人会には産経新聞が置いてないから、Web で見るしかないんすよねえ。
うちのムスメも二歳半ですが、先月、よーやっとオムツが取れました。一時は当分ダメかと思いましたが、取れるときはあっと言う間ですね。
で、この秋から garderie にやることにしました。下旬に三度 adaptationがあります。まあ、幼稚園に通わせるのは、来年にしようかな、なんて思っています。年末年始はまた2ヶ月ほど日本に行くつもりなので。
二歳以上になると、garderie や幼稚園にやらないと、公園に行っても遊び友だちがいなくなりますからねえ。
コンサート会場は街のあちこち。広い公園ではたいていやっているし、消防署は夜になるとダンスホールになる。これらの写真は Jussieu の Jardin des Plantes のもの。 fete de la musique には素人の参加もなくはないんだが、たいていは演劇などを勉強している学生がボランティアでやるか、プロが宣伝がてら安いギャラでおこなうことが多いみたい。外国からやってくるグループもあって、チラシを配りながら、15分ぐらいのコーラスなどを聞かせてくれる。 |
アフリカ系でもアラブ系はイスラムの聖者の名前が多いですね。アブデル、サイッド、カリム、ムハマドなど。実際の名前はもっと長いのだけどね。象牙海岸とかセネガルなどのフランス語圏は、フランス風の名前が多いんじゃないかな。彼ら固有の prenom もあるかもしれないけど。ぼくの友人はみなフランス風の名前でした。
ベトナム人は帰化しているのでなければ、フランス語圏でもなんでもないので、長期滞在者はベトナム風の名前のまんまってことが多いのでしょう。カンボジア人もそうじゃないかな、だいたい。
たしかナポレオン一世時代に戸籍法で「名前はキリスト教の聖者か歴史的英雄のものに限る」なんて条項があったと思いますよ。ただ、60-0代だか80-0代だかに、それを無効にするという政令が出ていると思いますが。昨年、フランスニュースダイジェストにその辺の話しが出ていたのだけど、うっかり捨ててしまった。
それでも戸籍係は「フランス人らしくない名前」を拒否できたんじゃなかったかな。5年前に南仏で「マリー・マリー・マリー」という名前が拒否された、なんて話題が、当時の FL で一時期盛り上がっていたような記憶があります(^_^;;)。
フランスの大学などに留学して、最初に受ける洗礼のひとつがその略字でしょう。ノートを借りるときだけでなく、教師によっては黒板にもけっこう略字を使いますから。 par rapport a は「%」とすることもよくあります。vis a vis を「v/v」とするのもわりと普通ですね。あと、les、dans は ls、ds とか。il y a は数学の存在記号を使うこともあります。 手元の記録によれば、こんなのがあります。当時は情報工学の DEAに登録していたから、内容は多少理系寄りですが。でもパリ第3大学の Communication系の学生もおなじようなことをやってましたね。
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かの有名なジョーク「この世の地獄」の天国編では「スイス人の役人」が登場し、地獄編にはたしか「イタリア人の役人」がいたと思います。ちなみに天国編には「イタリア人の愛人」、地獄編には「スイス人の愛人」もいたと思うけど。
ニッポンの役所の対応は、それほど悪くはないような気はしますけどね。だけどつい先日、横浜中央郵便局から SAL便で出した郵便物は、見事にトラブってくれた(-"-;)。三週間かかっても届かないから伝票番号を知らせて確認したら、「番号が登録されてない」だって。こりゃ紛失扱いになるかもしれん。まあ、中身はほとんどが文庫本・新書なんで、買い替えてもたいしたことはないんだけど、引用しようと思っていた部分を再現できるかどうか。
なにか「合目的」にことを進めたいのなら、自分でリードしなきゃだめですね。ぼくもフランス人とはいやってほど共同作業をしたけど、「やりたいことは自分でやれ」っていうのが基本です。
で、そうやって打ち合わせているときはぜんぜん進まないように思えても、いざレジュメを作る段になると、じつはあっという間に連中はやってしまうから油断がならん。社会学の DEAに登録しているような連中なら、かならず何人かは、15分程度の発表はアドリブでもできるはず。「なにも進んでいなーい」と思っていると、けっこう痛い目にあいす。
社会学といえば、Strasbourg II で講師をやっている Phillipe BRETON氏に師事しようと思ったことがあって、Pantheon-Sorbonne の Alain GRAS教授の DEA Sociologie を登録しようかとも思ったのですが(氏はここで講師もしてた)、結局 Sorbonne Nouvelle の DESTEC にしたのが2年前のことです。
「イギリスはヨーロッパじゃない」という説に賛成を一票。
大学とかでもけっこう「ヨーロッパ人とアングロ・サクソン」って区別をしてますね。
東洋人を蔑視するフランス人もいれば、尊敬するフランス人もおります。より正確には、東洋人の何人かを軽蔑するフランス人もいれば、東洋人の何人かを尊敬するフランス人もいる、というだけですね。人種に対する感覚なんて個人のイデオロギーですから、普遍化して語ること自体がナンセンスだと思います。
ぼくは3年半フランスに滞在して、蔑視を感じる仕打ちを受けた経験がありません。単に鈍いだけかもしれないけど。もちろんこれは一個人の体験にすぎないわけですけどね。ただまあ、強いていうのなら、平均的日本人のほうが平均的フランス人よりも、よほど人種差別意識は強いんじゃないか、と最近は感じております。
50フランのワインだとどよめきがわき上がり、60フランになると大歓声がおこります。100フランを越したワインはホストがキープして飲ませてくれません……なんちゃって。パーティの手みやげに持っていったワインは、たいてい50フランぐらい。Avenue Des Gobelins の坂をのぼって Place d'Italie 駅を目指すと、途中に Cave des Gobelins って店がある。そこで「50フランで○○に合うワインください」といって選んでもらうわけです。
スイスといえば不法就労……ってわけじゃないんだけど、去年、知り合いの小説家から、スイスでの不法就労について質問されたことがある。舞台設定で必要になったとかで。さっそく在ベルンの知人に調査を依頼したところ、スイスで日本人長期滞在者の世話をしているひとから、いろんなことを聞けたのですって。
まず、単なる不法滞在だけであれば、スイスはそれほどうるさくはないらしい。住んでいるだけ、というやつね。だから、もっとも安全な不法滞在は、スイス国内にアパートを借りるか居候して、イタリアかフランスで働くことだとか。ところが、スイス国内では不法就労の取り締まりはすごく厳しいらしい。とくにドイツ語圏では逮捕は確実だそうです。
やり口がいかにもスイス的なんですよね。まずは密告によって警察当局に通報される。「あの店、なんか最近は見慣れない日本人がいますよ」とかって感じで。
警察当局はそれから内偵によって容疑を固める。即逮捕はしないんだそうです。で、ある日現行犯逮捕をし、店の責任者も一緒に連行しちゃう。本人はもちろん国外追放だし、店の責任者も営業停止処分とか多額の罰金を課せられる、と。それでも日本食レストランとかには一定の需要があるため、不法就労の例はけっこうあるそうです。ただし表に顔が出る職種は目立つので、たいていは厨房仕事だそうですけどね。これは巴里あたりもおなじでしょう。
もぐりの通訳とか観光ガイドはいちばんやばいんだと。スイスはムラ社会で、こういう職種はユニオンの取り締まりがすごく厳しいうえ、狭い社会なので見慣れない顔はすぐにバレてしまう。即お縄だそうです。
観光地だとアクセサリー細工が定番ですね。ニッポンでも最近は繁華街で針金細工売ってるガイジンさんを見かけるようになった。あれ、経験者に聞いたらペンダントなんて原価30円だって。スイスでも観光地にはけっこういるんですが、儲けはたいしてよくないみたいね。むしろコンサートのおおいロンドンのほうがええみたい。巴里なんかだとメトロのなかでジャズかブルースを聴かせるほうが率はいいかも。これまでに一度だけ日本人のミュージシャンを見かけたことがある。メトロ1番だったと思うけど。
あー、これを読んでも決して不法滞在なんて考えないように>そこのあなた。合法的な滞在やら就労方法はいくらもあるんだから。
フランス人にいわせると、スイス人というのは「なにを楽しみに生きているのかわからない」国民なんだと。レストランなんかでもいつもつまらなさそうにしている。仕事はまじめだしソツなくこなすけど、これもまったく楽しげじゃない。だからスイス人の公務員は最高だけど、愛人にしたらこれほどつまらんものはない、というジョークが生まれたのでしょう。
姉の友人がスイス人と結婚してベルンに住んでいるんですが、「スイス人って、よーするにヨーロッパの田舎者ってことよね」と申しておりました。二人はニューヨークで知り合い、そのままNYに住む予定だったのが、会社(当然ながら金融機関)の都合で3年ほどチューリッヒに住むことになった。で、たしかにチューリッヒは3年だったけど、そのあとがNY復帰ではなくベルンになった、というわけです。
このご主人はスイス人でありながら、趣味がスキューバー・ダイビング。でもって、その友人が日本に帰省するときも空港までは同行し、通関後は別行動。ダンナはさっさと沖縄に行ってしまうんだと。
フランス人には日本人がスイスにすごくいいイメージを持っていることが、ほんとに不思議みたいね。いやべつにスイスにうらみはないんだが、アウトバーンでスイスに入国したとき、30 SFrs 取られたことが、いまだに釈然としないのは事実である。出るときはタダ(つまりドイツ側ではカネはとらない)なのに。
フランスとイギリスの大衆紙は国王ネタでよく罵倒合戦をするんですが、いつものパターンは、
フランス:「おめーらの王室の連中って、テイソー観念あるわけ?」
イギリス:「ばーろー、おめーらは国王の首なくさせちまったろーが」
ってなもんですね。
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