過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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会社の後輩の送別会に行ってきた。寿退社ではなく転職である。
中野の琉球酒家で忘年会。参加者は主としてfbookのスタッフや常連さんたち。
この店は新中野に住んでいたころ、まんだらけの帰りに偶然見つけたところ。安くて旨いので、わりとよく立ち寄っている。キムチチャンプルが絶品なのだ。
某作家さんのオフに出席。場所は新宿のパセラというところ。日本に帰ってきたので、今年の忘年会シーズンはあちこち出没することになりそうである(笑)。
別の先輩から、呑み会のことでメールが届く。この先輩、6月に社長となったそうな。それも、一部上場の大企業である。もともとこの先輩のお祖父さんが創設した会社なので、めでたく後を継いだということだ。しかし、プレッシャーはでかいだろうなあ。
ええ、アテネ・フランセのペレ氏はワタシの師匠でもあります。ペレさんが自宅を引っ越したときは助っ人に駆り出されるわ、テレビの映りが悪いっていうんで修理を頼まれるわ、まあ、いろいろな腐れ縁があります。ぼくの披露宴では乾杯の音頭を頼んだりもしました(笑)。
ペレさんはかなり個性の強い人で、相性が悪い生徒だと三日でクラスを替えるけど、相性がいいとペレさん一筋って感じになりますね。まあ、本人は日本語が堪能なのに、クラスのなかではまったく知らないフリをするところは、けっこうプロ意識があらわれていると思います。
最近はご無沙汰してるけど、以前はちょくちょく「この雑誌を買って送ってくれ」なんてハガキが届いたものです。左翼系の雑誌もいくつかあったな、そういや。
ふー、久々の出張からようやく復帰。最後に訪れた小松では作家の谷甲州さんのお宅に泊めていただいたのだけど、谷さんの仕事場で差し向かいでビールをちびちび舐めているときに、ぬわんと新田次郎文学賞受賞の連絡が入ったんですよ。受賞の瞬間をわずか1メートル目の前で目撃しちゃいました。
「これがパリの灯だ、と思いきや、ここはリヨンだよ!」の逆パターンは、2年前にブリテン島からやってきた「K杉のおいちゃん」なる人物がやった。
K杉さんはディジョンで TGV に乗ってリヨンに出て、そこから飛行機でロンドンに帰る予定でした。で、「リヨン行き」の電車に乗って着いたのが、Paris Gare de Lyon だったというわけです。車内で寝ているあいだに検札がなぜか終わってしまったため、最後まで巴里に着いたことには気づかなかったとのことでした。
そのときのリヨン行では、リヨンの中央駅で友人と待ち合わせたのですが、じつはリヨンの駅もふたつある。で、行き際にメモを忘れてきたので、正確な駅名がわからん。Pで始まるという記憶があったのですが、二つともじつはPで始まるんですよね。見事に間違えてしまいましたです。