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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 旅行(日本)カテゴリー

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2000年04月02日

 友人たちと伊豆下田の温泉旅館で一泊の宴会をおこなう。この旅館、サラリーマン時代に長期バイトで来てくれていた人の実家である。いまではその人のお兄さん夫妻が経営しているとのこと。小さいながらも静かでくつろげる旅館であった。オフシーズンなのでどこも人は少なく、白浜海岸の澄んだ海がとにかく美しかったのが印象的。


1999年08月12日

 帰国早々、原村にやってきた。19日まで滞在の予定。今回の同宿者はみな自由業なので、滞在予定は延びるかもしれないし縮むかもしれない。


1998年02月12日

 今回泊まったところは、「ヴィラ・れんが亭」というペンション。ここのオーナー・松本夫妻は、以前 Bright Horn というペンションを経営していた。ぼくがバイトしていたのは、松本オーナー時代の Bright Horn だった。
 当時、厨房のチーフをやっていたのが飯塚さんという人で、この人には本当に世話になった。飯塚さんのカレーと雑煮はとにかく絶品で、飯塚さんが休みの日、バイトや居候連中は、スキーには行きたいけれど、その日もし飯塚さんがカレーや雑煮を作ったりなんかすると食いそびれてしまうので、けっこうなジレンマがあった。

1998年02月11日

 アルペンのメッカ八方尾根でジャンプ競技というのも、ちょっと違和感を感じないでもない。まあ、昔も雪印の30メーター級の台があって、地元の中学生がときどき飛んではいたけれど。
 リーゼン・クワッドのリフト乗り場の下に、じつはジャンプの無料観戦場所があった。立入禁止のロープが張ってあったものの、競技前日からすでに観戦場までのルートができている状態。まあ、「行くな」って方が無理だと思うぞ。
 この写真ではわかりづらいだろうけど、画面ほぼ中央が踏切台のところ。この写真は開始セレモニーの場面で、各選手団の旗を持ったスキーヤーが、踏切台直下で待機している場面。
 この日はノーマルヒルで、結果はご存じのとおり、船木が銀で原田は五位。じつはトライアルで原田は95.5メートルという大ジャンプをやっている。その次の記録が葛西の92メートルだから、原田の飛距離は群を抜いていたわけだ。そして本番一本目も92.5メートル。さすがに二度も続けて大ジャンプをしちゃったら、三度目、つまり本番二本目に失敗しても仕方ないんじゃないのかな。  ソイニネンが船木を抜いて、期待は原田に集まる。あの声援はすごかった。ジャンプ会場がまるで一つの生き物になったような、そして声が物理的な形を持った「もの」のように感じられた。それにも増してすごかったのが、原田の二本目が不発に終わったときの溜息である。皮肉でもなんでもなく、この「溜息」だけはその場に立ち会った者でなければ感じられない波動だと思う。

 学生時代に白馬のペンションでバイトしていたころ、よく冗談で「白馬にオリンピック、来ないかねぇ」なんてバカ話をしていたものだ。いくらなんでも実現するとは思わなかった。
 やっぱ思い入れの深いスキー場で、男子ダウンヒルが開催されるというのはうれしい。あいにくと白馬滞在中(8〜11日)は見れずじまいだった。8日は兎平まで行ったものの、一時間待ったあげくに順延、11日は好天だったけど、コース整備が間に合わずに延期。まあ、負け惜しみではないが、11日は最高のスキー日和で、ジャンプ開始までさんざん滑った。この写真は兎平で男子滑降コースを撮影したもの。ヘルマン・マイヤーが大転倒した場所は、写真で見える最上部のところである。
 画面手前にいる人影は、コース整備をする自衛隊員たち。彼らの活躍ぶりはすごかったですよ。拍手!
 こちらの写真は女子の滑降およびスーパーGのコース。この日はスーパーGが開催されたが、画面をよくよく見ると旗門がわかると思う。
 しかしまあ、あのピョンピョン平をカッ飛んでいくなんて、よくやるよって感じである。男子のコースは兎平からパノラマ・ゲレンデに出てチャンピオン・コースの痩せ尾根に抜ける。パノラマは緩斜面で滑りやすいが、チャンピオンは八方でも難コース中の難コース。それを2分足らずで走り抜けるんだから、人間業じゃないっす。

1996年04月28日

 杏が「花の信州」一番手なら、二番手はもちろん高遠城址公園の桜だ。公園が小高い丘の上にあるため、桜が満開に咲く時期に遠くから眺めると、ピンク色のカツラをかぶったような感じに見える。森の杏も壮観だが、高遠の桜の密度もすさまじい。これだけ桜吹雪がすごいと、二週間洗わなかった頭からフケが一斉に落ちるところを連想してしまう(笑)。

1996年04月20日

 学生時代から、信州に花を見に行くのが好きである。そしてシーズンの開始を告げるのは更埴市の杏だ。杏の季節に初めて訪れたのは15年も前のこと。夜行に乗って早朝に到着した。今回は二度目だが、どちらも抜けるような晴天だった。「杏の里」と呼ばれるのは森地区といわれる区画で、約10万本の杏が一斉に開花する。満開の時期が短いのは桜とおなじだ。今日はほぼ8分の咲きぐあいで、じつに絵になる光景だった。もう一区画、名前は忘れたが、そちらは杏の本数は少ないものの、古い家屋が多く、写真に撮ると美しいという話を聞いたことがある。まあ、それは次の機会であるな。
 杏の花は、桜と桃を足して二で割ったような雰囲気だ。枝振りに特徴があって、細い枝がつんつんと空を突くような感じで伸びている。それにしても、これだけ半端じゃない数が一斉に咲き誇るのは、ほんと、壮観である。


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