過去の日記一覧
|
この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
■ スポーツカテゴリー カテゴリ「スポーツ」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。 一つ前のカテゴリーは、「コンピュータ」です。 次のカテゴリーは、「ネットワーク」です。 |
「気にせず突っ込め浅いコブ、気合いで突っ込め深いコブ」……とは、コブの名所、兎平ゲレンデをこよなく愛していた八方尾根居候族たちの標語でござった(笑)。その結果、兎平は「ぴょんぴょん平」と呼ばれたわけですが。
今週はパリの学校が冬休みなので、スキー場もけっこう賑わっているようです。だけどなんかあちこちで大雪で滑走不能になってるみたい。
Descente といえば、あのグルノーブル五輪の記録映画「白い恋人たち(Treize Jours en France)」のサントラ収録曲のひとつです。当然ながらジャン=クロード・キリーがアルペン三冠王を決めた最後の種目(けっこう疑惑の判定で優勝したのだけど)。ってことがモチーフになりました。他に「キリーのテーマ」という曲も収録されてます。そのキリー、アルベールビルでは大会の実行委員長でしたねえ。
アルペン三冠王はキリー以降、男女ともにいないけれど(現在は5部門になってしまったし)、一番惜しかったのは80年のレイクプラシッド五輪のハニー・ウェンツェルン(リヒテンシュタイン)でした。たしか金・金・銀だったんじゃないのかな。一昨年、リヒテンシュタインを通過するとき、ああ、ここがあの選手の母国なのかという感慨がありました。
フランスのアルペン選手では、最近では滑降のクレティエ、回転のアミエなどが有名だけど、オジサン世代には苗場W杯のアイドル、セラが懐かしい(笑)。
F1マシンのほとんどはすでにセミ・オートマチックだし、93年のレギュレーション変更がなければいまごろはとっくにフル・オートマチック化されていたハズ。実際にベネトンが試作してました。
モータースポーツの世界でもオートマチックの方がメリットありますね(ラリーは別)。高斎正さんの名作『日産がルマンで優勝する日』でも、オートマのマシンが勝利してますぜ。
l'Equipe の他に、Parisiens と France-soir も買いました。
しかし、解散するならたしかに今だよな(笑)。
その歴史的な日に、お隣イギリスのシルバーストーン・サーキットでミカ・ハッキネンの応援をしていたのはワタシです(笑)。
試合はミルトンキーンズの友人宅で眺めてました。シャンゼリゼの大群衆はCNNが繰り返し放映してましたねえ。150万人集まったってことは、パリ市民の半分以上がやって来た、ということか?
パリには13日の午後に戻ってきたのだけど、遊路★のマネージャーが行き先・到着時間をアナウンスするとき、「Paris, la ville de champion du monde」とゆうてました(笑)。
さっきは presse に l'Equipe を買いに行ったのだけど、すでに二〇人ほどの行列ができておった。もちろん一人に一部しか売ってくれなかった。これは我が家の家宝にしよう(笑)。
しかしイギリスGP、ハッキネンがちょっと可哀想だったぞ。
市役所前広場でも、一斉に On est en finale ! でしたねえ。ロスタイムに入ってからは、警備にあたっていた機動隊員たちもテレビ局のモニタを見ていたぞ(笑)。
フランス・クロアチア戦のダフ屋レートが 2,000 Frs だったそうだけど、日本戦に比べて随分安いよなあ(笑)。
さきほど、革命状態(笑)のパリ市役所前から帰還しました。
いやー、すごかった。ああいうのは観衆を見ているのがいちばん楽しいですね。同点のときまでは観衆のど真ん中にいたのだけど、最後は France 3 の中継車の近くから眺めてました。
7月9日、サッカーW杯準決勝のフランス対クロアチア戦をパリ市庁舎前広場で観戦するサポーターたち。準々決勝で難敵イタリアを破った地元フランスは、この試合に初の決勝進出をかける。イタリア戦ではこの広場だけで1.5万人の人出があったそうだが、クロアチア戦はその5割増ぐらいの人数がいたんじゃなかろうか。 夜10時ぐらいになってようやく薄明がかすかになる。どの街灯にもスクリーンを見ようとする連中数人がよじのぼり、国旗をはためかせていた。この写真を撮ったすぐあとぐらいに、クロアチアが先制点を入れ、大観衆からブーイングと溜息が。もちろん僅かながらいたクロアチアのサポーターは大はしゃぎだったが。 しかし、ブーイングがようやくおさまったころに、今度はフランスが同点ゴールを決めたのは、おそらくご存じのとおり。その瞬間、鼓膜が破れるかと思ったぞ。全員の手が一斉にあがり、皆人差し指を立て、あちこちで爆竹は鳴るわ、ロケット花火を打ち上げるやつがいるわ。 念願の勝利を果たして「決勝だ!(On est en finale !)」と浮かれるサポーターたち。ここに居た大観衆たちが車道に繰り出し、どの道もほとんど歩行者天国状態となった。だけど車の方もクラクションを連呼して歩行者と一緒に大騒ぎ。いやもう、試合終了から二時間たったいまでも、車のクラクションが絶えない。たぶん、明け方までこの調子なんじゃないか。 |
広場前では、中継が始まる前は「Allez, les Bleus !」だったのだけど、中継が始まってユニホームが白とわかってからは「Allez, les Blancs !」に変わってました(笑)。Bleus のままだったら、イタリアの応援になっちまうもんな(笑)。
Zidane に対しては愛称 Zizou を叫ぶ人も多いですね。
今日のイタリア−フランス戦、最後のPKを失敗したイタリアの選手、仰向けになったまましばらく動けませんでしたね。まあ、あれが優勝を狙うチームの姿でもあるんでしょう。
前半はパリ市役所広場前で大スクリーンを眺めていたのだけど、ラ・マルセイエーズの大合唱はすごかった。じつはこの日、うっかりとイタリア国旗のワンポイントが入ったチョッキを着ていたのだけど、広場にいるときはさすがに脱ぎました(笑)。
しかし、イタリアに勝ててよっぽど嬉しかったんでしょうねえ。夜中になってもクラクション鳴らしながら走ってる車が多かったです。ああいうのを見ると、うらやましいと思ってしまう。まあ、長野オリンピックの白馬ジャンプ台も雰囲気としてはおなじようなものだったとは思うけど。
決勝トーナメントを観ていると、素人目にもJリーグ・レベルとの絶望的な差を感じてしまいますね。日本サッカーの抜本的なレベルアップは、もはや移民政策を全面的に開放に向け、アフリカや南米から何百万人単位の移民を受け入れることしかないんじゃないか、なんていう気がする。そうすれば少子対策にもなるんだから、一石二鳥だと思うんですけどねえ(笑)。
メキシコ五輪はわりと鮮明に覚えてますね。マラソンの君原、体操の加藤沢男、それと女子バレー。重量挙げの三宅も健在だったのかな。
冬期大会はグルノーブルでしたね。でも当時はスキーには興味も関心もなかったので、ジャン=クロード・キリーがアルペン三冠王になったと知ったのは、ずっとあとになってからです。キリーは92年アルベールビル大会では競技委員長をやってましたね。
F1 Grand Prix 優勝経験のあるフランス人とくれば、まず第一にあげなきゃいけないのが Alain PROST。通算50勝はダントツのトップですね。二位は故Ayrton SENNA の41勝。現役では Schumacher の28勝がトップだけど、PROST の記録更新はちと難しいような気がする。
次に思いつきやすそうなのは、Jean ALESI でしょう。89年に Larousseデビューし、いきなり4位になって注目され、翌90年の開幕戦アメリカGPではデトロイト市街地コースでSENNAと壮絶なバトルを演じ、一躍「脅威の新星」と呼ばれましたね。だけど翌年 Ferrari に移籍してからは、いまいちぱっとせんかった。万年一流半状態のなか、ようやく一昨年のカナダGPで優勝できましたね。でもまだこの一勝ぽっきり。
PROST、ALESI 以外はちょい難しいかもしれんけど、一昨年のモナコGPでタナボタの優勝を獲得した Olivier PANIS で三人目っすね。マシンは Ligier Mugen-Honda。無限ホンダ・エンジンの初勝利となったレースです。このレース以来、F1 をテレビ中継している TF1 は ALESI よりも PANIS の方をひいきにしているような気がする。でも PANIS の勝利もこれ一回きりっす。
あとはF1ブーム以前に勝ったパイロットが何人もいるけど、んー、Rene ARNOUD も優勝経験はあるんじゃないのかな。Renault チームのエースで、新人時代の PROST とは犬猿の仲だったらしい。そのせいか、89年のモナコGPでは PROST の進路をさんざん妨害し、古館一郎から「走るシケイン」と言われてしまいましたね。
今年、白馬でスキーをやったとき(男子滑降競技を兎平で見るために、一応、スキーセットは持って行った(笑))、数年ぶりに履こうとしたスキー靴は、材質が劣化しきったためか、見事真っ二つに割れました。まあ、なにしろサロモンの最初のモデルですから、すでに17年選手。いくらなんでも寿命なんでしょう。ちなみに板の方も、ユーゴスラビア時代の ELAN です(笑)。
そんなわけで、パリに帰ったらスキーの materiel を買おうかと思ったのですが、うーん、なかなか店が見つからん。フランスのパターンからすると、板や靴を売っているのは12月ぐらいまでですかねえ。神田だったらいまごろがバーゲン真っ盛りなのに。
ELAN の板を使う前までは、ジャン=クロード・キリーにあこがれ、Dynamic の板を使っていたのです。要するに単なるミーハーっすね(笑)。
普通、スポーツの「チーム team」に相当するフランス語は equipe じゃないですか。スキーなんかでもそうだけど。ところがモータースポーツだと ecurie なんすね。F1 なんかでも ecurie Prost Mugen-Honda(そら去年だわ)とかって。自動車がもともと「馬なし馬車」だったから、なんすかね。
2月の長野五輪はメダル・ラッシュに湧いたが、地元開催なのである程度は予想の範囲内といったところだろう。その点、92年のアルベール五輪こそ、予想外のメダル・ラッシュで盛り上がった。なんといってもノルディック複合団体の金メダルは快挙だろう。その後、エースの荻原健司がワールド・カップで個人総合三連覇を果たしているのも凄い。歴史ある競技で日本人が何年間も続けて世界王者となった例は、自転車の中野ぐらいのものではないのか。荻原の評価はもっと高くていいと思う。
野沢温泉ではバイアスロン競技が開催されましたが、じつはこの競技、当初予定では白馬村でおこなわれるハズでした。ノルディック系がすべて白馬村、アルペン高速系は志賀高原岩菅山という予定だったのが、自然保護の立場から岩菅山案が没になり、急きょ白馬八方尾根で開催するということになったのですね。それでバイアスロンが八方から野沢に変更されたそうです。
地元・八方では、ノルディックなら人気競技のジャンプと複合があるし、アルペンをやらなければスキー場はそのままスキーヤーに利用してもらえるので、オリンピック見物客+スキー客の両方が確保できてラッキー……なんて思っていたそうです。それがアルペン競技の開催となって、スキー場の一部が使用できなくなるため、名誉なことではあるけど客足が心配、ということになったのですね。
八方尾根スキー場の規模は日本最大ですが(志賀高原はちょい対象外)、それでもシャモニーの5分の1ぐらいの面積だったんじゃないのかな。まあ、大陸と島の違いなんでしょうが、規模が違うと滑降コースで苦労するのは仕方ないですね。札幌のときは恵庭岳に特例としてオリンピック時のみのコースをつくったけど、いまは自然保護の立場からむずかしい。で、日本の常設コースで国際級のダウンヒルができるのは八方しかないから、ということで、アルペン高速系が八方尾根で開催されることになったようです。
白馬村にはフィンランドやノルウェー、オーストリアの人たちがかなり滞在していたようだけど、フランス人はほとんど見かけませんでしたねー。ゲストハウスを白馬村に置いたのもノルウェー、オーストリアだけだったみたいだし。
そういや2008年夏期オリンピックで北京が立候補を断念したから、大阪開催の可能性が一気に高まりましたね。
残念ながら白馬からは11日夜に戻ってしまいました。
回転のアミエが今季は不調だったので、フランスのアルペン・チームは今回も金無しだと思っていたら、クレティエがやりましたねー。そうです、グルノーブルのキリー以来です。ただ、キリーのあのときの滑降の勝利は、けっこう物議をかもした勝利でもあったんですけど、今回は完全な優勝でしたね。
男子滑降は8日に予定されていて、その日は双眼鏡を持って八方の兎平まで行って来たのだけど、その日は残念ながら順延。ガスが発生するのがもう30分遅ければ、なんとか開催できたんでしょうが。その後、11日に順延されて、なんとか観れるかな、なんて思ったのだけど、再度の順延で結局あかんかった。結局、8日に前走の3人が滑るのを見ただけでした。
滑降コースに使われている八方尾根のチャンピオン・コースは、白馬ではいちばん難しいコースで、あんなところをよくダウンヒル用に使ったな、と思ったもんです。コース最後の部分は、かつてはキロメータランセのコースに使われた急斜面で、三浦雄一郎が当時の世界記録を達成したとこじゃなかったかな。
8日は兎平で雪温マイナス6.5、今日はおなじ場所でマイナス3.5だというから、だいぶ重い雪だったんじゃないでしょうかね。ヘルマン・マイヤーさえも転倒してましたが、コースが荒れて板がひっかかりやすかったんじゃなかろーか。
白馬にいたのは 8〜11日の四日間だったのだけど、とにかく人がいないのにビックリしましたね。11日はジャンプのノーマルヒルがあったために、会場はどえらく混雑していたものの、ゲレンデの方はガラガラ、クワッドに一人乗り状態でした。とくに11日のゲレンデ・コンディションは最高中の最高で、ついつい滑りすぎて膝がガクガクになり、帰りの運転がたいへんでした。
いやしかし、かつて半ば住んでいた場所で開催されるオリンピックというのは、やっぱ感慨深い。それに、連日のコース整備に駆り出された自衛隊員は、本当にご苦労さまといったところです。
先月末にベルギーGPを観戦した。場所はスパ・フランコルシャン・サーキット、勝利したのはフェラーリのシューマッハである。
チケットを入手してくれたのは、在ベルギー日本大使館で客員研究員として研修中の知人である。前日に家族でブリュッセルに宿泊し、レース当日は知人とつるんでリエージュに移動。カミさんと子どもはそこで時間をつぶすことに。わたしは知人の車に乗ってスパに移動した。
チケットはブロンズ・ゾーンのものだが、要するに、土手の好きな場所で見なさいというもの。そうはいっても、広大なサーキットなので、入場したゲートの近くで観戦する場所を探した。結局、monte de l'eau rougeの先にある、ほぼ直線のコースを見下ろす土手に陣取った。コースはわずか30メートルぐらい先である。
天気は快晴だったが、ベルギーGPで雨が降らないとは考えられなかったので、プロスト・プジョー・チームのショップでレース開始前にパラソル兼用の傘を買っておいた。これが結果的に正解だった。
レースはシューマッハの独走となったが、デイモン・ヒルと片山右京のドッグファイトが見物だった。先行する右京がヒルを頑として抜かせなかったため、数周にわたり、テイル・ツー・ノーズの激しいバトルが展開されていたのである。
じつはベルギー行きの前日、すがやみつるさんとパリで夕食をともにした。すがやさんもベルギーGP観戦が目的で、パリで一泊後にベルギーに移動する予定だったのである。ただし、こちらは土手で見物なのに対し、すがやさんはパドック・パスをもらったとのことで、おそらくはメインスタンドで観戦なさっていたはずだ。
いつスタートしたのかがわからなかったベルギーGPであるが、じつはF1史上初のローリングスタートだったんだそうだ。
話は飛ぶけど、ミストラルといえば……ポールリカール・サーキットの名物直線コースである。89年のフランスGPでは、残り三周となったところで、レイトンハウスのイワン・カペリをマクラーレンのアラン・プロストがかわし、そのままゴールインしたのであった。ミストラルを疾駆するプロストはなかなか格好よかったぜ。そのレース、セナは早々にリタイヤだったけど。
フランスGPも早くポールリカールに戻らないかねえ。プロストのチームもベルサイユに移転しちゃうんだから、マニクールで続けるメリットはもうないのに。
スキーといえば、この日曜には志賀高原でw杯スラローム第9戦がおこなわれましたね。いわゆるプレ五輪ですが。ニッポンの木村は堂々の4位でした。昨年のチャンピオン、アミエを抑えての4位だから、こりゃ価値がありますぜ。本番に期待したい。
おなじ日にオーストラリアではF1が開幕したけど、プロスト無限のパニス(昨-0のモナコの覇者)が5位に入りましたね。チームメイトの天才・中野信次もデビュー戦で7位っていう大健闘だし。
でも中野といいシューマッハ弟といい、昨年の Formula Nippon で活躍した選手が今年はF1にそのままグレードアップしてるんだから、Fポンもたいしたもんだと思ってしまった。
今年こそベルギーGPを見に行きたい。
ルノーの F1撤退は 98年です。来シーズンまでは参戦します。エルフもおなじだっけかな。ルノーには「6年連続でチャンピオン・エンジン」「F1で通算 100勝」という目標があるみたいです。6年連続というのは、こりゃもうホンダへの対抗意識ですね。これまでの最長連覇記録がホンダの V6(86-87:Williams Honda, 88-91:McLaren Honda)でしたから。ルノーはいま通算 87勝ぐらいだっけかな。これはフォード(というかフォード・コスワース)、フェラーリに次ぐ記録ですね。ホンダが 73勝だったと思いますから、まずはこれは抜けたわけです。
ホンダが 98年に F1に復帰するといわれてますが、ルノーの撤退で微妙な戦略転換があるんじゃないか、とささやかれています。ルノーは F1にはじめてターボ・エンジンを持ち込んだのですが、結局ターボではポルシェがすぐに巻き返し、最後はホンダが席巻したわけですね。そのためかどうか、ホンダにはやたら対抗心があるようで。
キリーの使っていた板は Dynamic VR17 です。これは「名機」といわれてましたが、時代が時代ですから。たしかコンペなら 2メーター30ぐらいあったはずですね。 この Dynamic は一度倒産し、VR17 というモデルだけは Michelle VR17 という名前でしばらく生産されたと思います。ただ、それも70年代の後半で打ち止めになりました。ぼくがバイトをやってた八方のペンション・オーナーはこの Michelle VR17 を持っていて、乾燥室でそれを見つけたとき、「マスターは VR17 を持っていたんですかー!」と言ったら、「『あの』VR17、って言ってくれよな」と言い返されました。
その数年後、Dynamic が突然復活したんですよね。自宅近くのスキー用具店になにげなく入ったら、白地のやけにきれいな板がある。ブランドを見たら「Dynamic VR27」となっていました。
Michelle VR17 は黒地の渋い板でした。でも復活 VR27 はさすがにスキー板の技術が進歩したあとのものなので、性能的には勝負にならんでしょう。こっちはウッド・コアにオメガ構造のグラスファイバー補強でしたから。で、ミーハーなワタシはすぐに買ってしまいました。
ロシュとかK2になるとメジャーすぎちゃいますが、わりとマイナーなブランドだと「誰それの板」ってイメージがけっこうできちゃいますね。キリーが Dynamic ならステンマルクが ELAN とか。年代によってスキー・ヒーローの違いがはっきりしてますね。30代後半だとステンマルク、40代前半だとグスタボ・トエニ、40代後半がキリーって。逆に30代前半がピルミン・ツルブリッゲン、それより若い世代はアルベルト・トンバって感じで。
個人的にはクスタボ・トエニの攻撃的なスラロームと、ステンマルクの腰高フォームが印象的です。とくにあのステンマルクの膝のやわらかさは、人間業じゃねーよ、と思いました。あれなら尻餅ついてもw杯で勝てるわけだわな、って感じですね。
いつだったか、加山雄三とエキシビジョン・レースをやってましたね。もちろんたっぷりハンデをつけて、だけど。アルベール五輪ではプロ解禁で出場資格を得たステンマルクが、回転2本目のラップを取ったでしょ? あのときは胸があつくなりました。だからこそ、優勝したトンバの「ステンマルクなんて過去の人さ」というコメントはシャクにさわり、以来、トンバ嫌いになってしまいました。
アトランタ五輪が閉幕しましたね。フランスは柔道や自転車で金メダルを量産し、こんなにスポーツが強かったんかいな、と驚いてしまいましたがな。
フランスでの放送を見るかぎり、アスリート競技が始まってからは、Marie-Jose Perec がすっかりとヒロインになってました。200 と 400 の二冠は見事だったし、あのスタイルだから、人気も出るでしょうね。200 での表彰式では、メダルの授与をしたのが、あの Jean-Claude Killy でした。スキーの英雄がアメリカの夏のオリンピックでプレゼンテイターというのもちょっと奇妙な感じはあるけど、Killy ったらフランスの英雄ですから、テレビのアナウンサーはかなり興奮してました。
モナコGPは4年ぶりにニッポンのテレビ中継でみました。でもチェッカーがわずか4台というのは、はじめて見る苛酷なサバイバル・レースです。
レース結果は「初めて」とか「久々」づくしですね。パニスの勝利はもちろん初めてだし、無限ホンダ・エンジンも初勝利。フランス人のモナコ優勝は88年のプロスト以来、フランスのチームがF1で優勝したのは、いったいいつ以来だ。だいたいTF1でさえ、リジェなんてほとんど注目せずに、ウィリアムズばっか贔屓にしてた。
じつは「幻の横浜グランプリ計画」というのがかつてあった。14年前ぐらいかな。横浜の青年会議所が誘致に乗り出し、FOCAもかなり乗り気だったそうです。コースは根岸か磯子の港近辺の公道を使うというもので、フィージビリティまでやったのだとか。だけど開催費で交渉が難航したうえ、F1レースをやると轟音が10キロ先まで届くというので警察がダメといい、それに平行して進められていた鈴鹿が契約しちゃったので、具体化寸前までいきながら幻に終わってしまったのですね。
日本からはモナコ、スパ、シルバーストーンあたりが人気ツアーになってます。あ、そういえばベネトン・チームのパドックで、ゴクミがアレジを激励しているシーンがテレビに映っていたぞ。まだ続いてたのね。
しかしまあシューマッハはだらしないよな。弟の方がすぐに追い抜くような気がしてきた。ラルフ・シューマッハは26日に富士スピードウェイでフォーミュラ・ニッポン第三戦です。
世界最初の自動車レースはフランスでおこなわれました。そのあたりの状況は、次の本にくわしく書かれております。
馬なし馬車による走行会 ——パリ〜ルーアン1894
高斎正・著、集英社
著者・高斎さんはこの本の取材のため93年秋にフランスを訪問されましたが、そのとき、「来年は自動車レース誕生百周年なのに、日本の自動車雑誌はぜんぜん関心を払わない。そもそもレース誕生が1894年だということを知るモータージャーナリストがほとんどない」と憤っておられました。パリ〜ルーアンは計時走行会という主旨で、実際にレース形式となったのは翌年に開催されたパリ〜ボルドーなんだそうです。
これも高斎さんから聞いた話ですが、自動車の発明はドイツのダイムラーとベンツがおこなったというのが定説ですが、じつはその数年前にフランス人が発明したという考えもある、ということです。量産車の基礎を築いたのはダイムラーとベンツであるのは事実でも、発明となると、なにをもって自動車と考えるかで見方が変わるはず、ということですね。
フランス自動車クラブ(Automobile Club de France)が設立されたのは1895年だったと思いますが、たしか昨年、創立百周年記念切手が発行されていたと思います。自動車クラブの総本山 F.I.A(Federation Internationale d'Automobile)はコンコルド広場にあります。
昨日のF1ヨーロッパGPでは、新人ジャック・ビルヌーブが優勝しました。片山右京は失格となってしまいましたが。おなじ日、ニッポンの鈴鹿では Formula Nippon が開幕しましたが、48歳の大ベテラン星野一義が優勝しました。星野ったら、ジャック・ビルヌーブの父親ジル・ビルヌーブが18年前に富士スピードウェイで開催された F1日本GP に出走してたんじゃなかったかな。
今年の Formula Nippon で注目されているのは、新鋭・高木虎ノ介がチャンピオンを取れるかどうかですが、開幕戦では若さが出て追突・リタイヤでした。でもやっぱすげー速い。チャンピオンを取れば来年は F1にステップ・アップするでしょうから、いまからそれが楽しみす。
F1 Monaco GP、Fete de la musique、14 juillet が個人的には初夏から夏を告げる風物詩という感じを抱いておりました。モンテカルロ市街地コースは2年前にはじめて実物(?)を眺めたのですが、Monte de Beau Rivage が思っていたより急だったのが印象的でした。ミラボーやステーション・ヘアピンなどの名所では、ほんの二週間前に事故死したセナの姿を思い浮かべたものであります。
今年はデイモン・ヒルが親子優勝を達成できるかどうかが注目ですね。
サイト内検索 |
---|