過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
■ ネットワークカテゴリー カテゴリ「ネットワーク」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。 一つ前のカテゴリーは、「スポーツ」です。 次のカテゴリーは、「フランス生活」です。 |
NIFTYのマネージャ有志がおこなっている勉強会に参加。半分ぐらいゲスト扱い……というか、トラブル対応の専門家(笑)として。勉強会後は忘年会がおこなわれる。
現在のニフティのスタンスは、「海外からはインターネット接続で」となっています。TTYで利用したければtelnetで、そうでない人は Interwayでどうぞ、ということです。実際にこれだけインターネットが普及している状況では、ごく自然の流れでしょう。自前のTTYのノードを管理するのって、ものすごくコストがかかることですから。
それでも、以前にくらべたら天国のような便利さですよ(笑)。7年前のいまごろは、フランスから日本に接続するすべはパリのtympasノードしかなく、しかも通信事業法の制約から、tympasはあくまでも実験サービスをおこなっているだけというタテマエだったので、おおっぴらに「データ通信ができます」とは宣伝できず、口コミで知るしかなかったのです(ぼくは渡仏直前に町田さんに教えてもらいました)。
パリに着いてまもなく、イギリスGP観戦の直前にパリに寄ったすがやみつるさんから、近々コンピュサーブ経由で接続が可能になるという話を聞き、実際に93年春ごろだったかに、CIS内から「GO NIF」で接続できるようになりました。それまでtympasの接続料金が70円/分だったところが、これで約35円/分で接続できるようになったんですね。それでもパリ以外からはtranspac経由だったので、余分な費用がかかったけど。
先日、livre-en-ligne で本を注文したのだけど、なぜかカード決済のボタンがクリック不能状態になってました。仕方ないから cheque を郵送したのだけど、カード決済が不能のあいだは、海外からの注文はちょっとしんどいかもしれないですね。
NTT分割論議は CIAの陰謀であると信じているのはワタシです(半分マジ)。だって NTTを分割(=弱体化)していちばんメリットがあるのはアメリカのキャリアですもんね。こっちをさっさと分割しておいて、あちらはいまや大型合併の時代ですから。まあ、80年代半ばであれば分割も「正論」だったかもしれないけどね。もっとも、持ち株会社方式にすればいいんでしょうけどね。
5年前の6月某日、オデオン座近くの公衆電話からカプラを使って NIFTYに接続したところ、事情をまったく理解できない順番待ちの人たちは、「おまえ、話すことがないのなら、さっさと電話を切らんかい!」という目つきでにらんできました。なにせ当時は 1200bps がせいぜいだったので、ちょっとログを落とすだけでも10分近くかかったのです。
数分後、こんどは事情を充分に理解できるアメリカ人観光客が、ニヤニヤしながら電話ボックスの外から眺めていました。で、彼は隙間からぼくに名刺を渡してきました(だからアメリカ人だとわかった)。
その二分後、モデムの電池が切れてあえなく通信終了。当時は 70円/分の Tympas しか利用できなかったので、けっこうな出費だったんですよ。
フランスだとやっぱ Minitel Rose じゃないでしょうか。3年前だったか、フランスのアダルト系BBS の調査を頼まれたことがあったんですが、けっこう数はありましたね。ほとんどがミニテルのサーバーでしたが。だけど1ファイルがだいたい 200〜300KB もある画像を、1200bps のミニテルでダウンロードする人が、はたしてどれだけいるのでしょう。
アダルト系ならやっぱりアメリカ、スウェーデン、フィンランドあたりが充実しております。友人のホームページにはそのことごとくにリンクが張ってあるし。
これはかなり古いプロジェクトで、発端までさかのぼると、インターネットの前身である ARPANET までいっちゃいます。1971年ですからね。イリノイ大学のマイケル・ハートって学者が、あるときヒマにまかせて「アメリカ独立宣言」を入力し、友人たちに送りつけました。70年代前半ったら、TSS(IBM用語なら TSO)がぼちぼち普及を始めたころだけど、コンピュータ=計算機じゃないですか。だけどたまたまハートは「計算だけじゃつまんねー」と思い、ちょっとした遊びっ気でこんなことをやったわけです。
これがきっかけで、英文テキストの電子化という計画が自主的に始まりました。最初に立てられた計画は、もっとも利用頻度の高い1万タイトルの書物を順次デジタル・テキスト化していこう、というものです。で、2001年には「グーテンベルグ電子公共図書館」をつくっちゃおうと。でもその後はグループが分裂したりして、電子化達成タイトル数は予定よりもおおはばに下回っているみたいです。
デジタル・テキストによる電子図書館計画は、けっこう昔からあります。10年前は CD-ROM がいまのインターネットのような地位にありました。そのころ「CD-ROMのシリコンバレー」といわれたアメリカ・コロラド州の Boulderって街に取材に行ったことがあるんだけど、Alexandra というベンチャーがやっぱりおなじような計画を進めてましたね。
ニッポンでは通産省が大プロのひとつとして「インターオペラブル・データベース計画」というのを進めてました。これは印刷工程の CTS化に便乗し、フルテキストのデータベースを実時間で築き上げよう、というような主旨です。ただ、この種の計画はかならずといっていいほど、著作権の壁にぶちあたります。グーテンベルグ計画でも対象になっているのは著作権切れのテキストが中心ですね。まあ、インターネットのリソース自体に、当初はパブリック・ドメインの思想が濃厚でしたから。
なにかの実験によると、インターネット・メールの途中欠損率は6パーセントだそうです。実際はそんなに欠けているとは思えないんだけど。もともとインターネットでは、メールが最後まで届く保証がいっさいありません。そういう前提で使うもの、ということですね。
いまのコード体系だと、欧文特殊文字と日本語の2バイト文字を共存させる方法はありません。もちろん文字ごとにフォントを変えれば別だけど。