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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月21日

 1993年に続き、またしたもあらたな大学院&師匠さがしをしなければならなくなった。DEA課程は一年のプログラムなので、その先の博士課程を履修する意志がなければ、一年ぽっきりで終わりなのだ。ただし、学位が取れなかった学生にかぎり、もう一年の延長が認められる。学期開始当時ちょっと親しかったベネズエラ人ルイスは途中で病欠したため、一年延ばしてDEAを取るといっていた。
 わたしの場合、この分野でtheseを登録する意志はなかった。前半の科目こそ、かなりの興味を持って取り組んだものの、後半になると、内容的に自分の関心領域からどんどん逸れていってしまったのだ。というか、いくつか抱いていた関心領域のうち、ここにきてようやくメディア論をやりたい、と明確に思うようになったのである。

 ESSEC時代の友人Abdelは、もともとがscience d'information et de communicationを専攻していたので、この分野の研究者リストを貸してくれた。そこには研究者の名前と連絡先、所属機関、細かな専門領域、発表論文などが一人につき一ページ記載されていた。このなかから、自分の関心領域と重なる研究者をさがすわけである。
 見てみると、RenneやGrenoble、Strasbourgなどに、なかなか興味深い研究に携わっている人がいた。もしそれらの人に弟子入りとなれば、当然、パリから引っ越すという選択肢も出てくる。ただ、すでにフランスでの生活には十分に慣れていたので、そうなったらそうなってでいいかも、ぐらいに思っていた。


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