この月のエントリー
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月24日

 フランス時間の1994年5月1日午後6時5分は忘れられない瞬間となった。そのとき、F1の世界王者アイルトン・セナが死んだという公式発表がラジオから流れたのである。94年のサンマリノGP、セナの操るウィリアムズ・ルノーが高速コーナーで制御不能になり、時速200キロを超えるスピードでコースアウト、そのままコンクリート壁に激突したのだ。
 このレースをわたしは、いつものようにTF1の生中継で見ていた。レースはすぐに中断され、セナがヘリコプターで病院に運び出された。その様子をわたしはNIFTY-Serveのモータースポーツ・フォーラムのF1会議室に書き込んだ。すでに日本でも事故がテロップで速報されていたらしい。
F1レースはフランスでも人気のある番組で、セナの様子はラジオのニュースでも随時伝えられていた。その都度、わたしは情報をF1会議室に書き込んだ。時間がたつにつれ、モータースポーツ・フォーラムのチャットに多くの人が集まるようになり、それがシステムの負荷となってアクセスしづらくなったほどである。
 18時5分の公式発表で、フランス語の同時通訳は「sa mort」と告げていた。しかし、あまりに重大なニュースに、わたしは「死」と書くことはできず、電子会議室にはとりあえず「深刻な状態」とだけ書いた。同時に、このフォーラムの関係者であったすがやみつるさんには、メールで「セナ死す」と伝えた。
その後、フランスのラジオニュースでも繰り返しセナの死亡を報道したので、会議室にもその旨を書き込もうとした。ところが、あまりに多くの人がアクセスしていたために、フォーラムのなかに入れなかったのである。チャット・ルームだけでも125人が集まっていたのである。


Copyright (C) Masayuki ESHITA
サイト内検索

カテゴリー(archives)

最近のエントリー(RSS)