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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月07日

 巴里生活半年足らずで二度目のクリスマスを迎えることとなった。この時期、街はイルミネーションに飾られ、じつに煌びやかな美しさを競っているのだが、生活者にとっては辛い季節でもある。なにせ北緯54度の高緯度地方、冬至近辺ともなると、太陽が南中しているときでさえ夕方のような感じである。いや、まだ太陽が出ている日はマシで、連日曇天ばかりなのだ。西風のおかげで緯度のわりに気温は低くないが、太陽光線を欠いた日々は、日本の太平洋側に住み続けた者にはつらい。
 なにがいちばん辛かったといえば、通学の際、夜明け前に家を出ねばならないことだ。朝7時45分ごろは、まだまだ真っ暗なのである。そんななかを、ネイティブたちはごく普通に移動しているのだが、こちらの体内時計はまだ睡眠中の時間帯を指している。元来が夜型のわたしにとって、これは本当にストレスが募った。
 Chatelet-Les HallesでRER A線に乗り換え、Nantereの先で地上に出るのだが、そのころにようやく日の出である。列車の北方向を窓越しに見ると、La Defanceの新凱旋門あたりから日が昇るのが見えたものだ。
 いまにして思うと、わたしは6月末に来仏したので、夏の心地よさを知っているだけまだマシだったかもしれない。11月に来仏したカミさんにとっては、着いたそのときから連日曇天続きだし、たまに晴れても高くのぼらない太陽をほんの束の間接することができただけだったのだから、気分的にキツかったかもしれない。
 そうはいっても、この時期にはこの時期だけしか楽しめないことがいくらでもある。fruits de mersが味わえる季節だ。生牡蠣はもちろんのこと、生ウニまで扱う店があった。市場に行けば新鮮な魚介類がいくらでも手に入る。ワインも安い。チーズも安い。いろいろな食材が楽しめるのは、冬の特権といっていい。


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