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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
いま現在、オレが最も知り合いたいと思う研究者は教育社会学者の本田由紀さんである。『若者と仕事』(東京大学出版会、2005)で興味を持ったのだが、今回は『「ニート」って言うな!』(光文社新書、2006)を読み、そこで展開されたニート言説批判にはおおいに感銘を受けた。鋭く切り込んでシャープに論駁するというスタイルではなく、あくまでもデータを正確に読み取って分析を積み重ねる論述スタイルは、非常に真摯だと思う。この真摯さが、ともするとセンセーショナリズムに陥りがちなテーマを論ずるにあたり、最も必要な姿勢であるはずだ。
『「ニート」って言うな!』は三部構成になっており、本田由紀、内藤朝雄、後藤和智の三名がそれぞれ執筆している。タイトルからも推察されるように、ニートを批判/肯定するものではなく、ニートを諸悪の根源であるかのごとく取り扱う言説を批判するという、メタ言説的な主張となっている。詳しい感想はいずれレビューにも書くつもりだが、メディア・コミュニケーションを研究テーマとする者としては、おおいに共感できる内容ばかりであった。社会問題・労働問題においては、ニートという存在とおなじくケータイやインターネットもしばしば「主犯」として扱われているわけであり、その構図はほぼおなじと考えていいだろう。
個人的に抵抗を覚えた箇所を挙げるなら、後藤さんが担当する第2部の終盤で開陳されている「自由な社会の構想」に見られる一種の楽観主義である。簡単にいえば、多様性を認め合う寛容な社会を是とする論議なのだが、「(略)自由な社会で強制されるのは、なじめない者の存在を許す我慢(寛容)だけです」(p.205)という主張は、オレには楽観主義としか思えない。存在を許すことが極めて苦痛で困難だからこそ、移民問題やアラブ vs イスラエルの対立が数千年の長きにわたって続いているのではないのか。
それはさておき、本書を読んで再認識したことは次の2点である。
・ニートもフリーターもいない社会は閉塞状況に陥る。
・世に語り伝ふること、まことあいなきにや、をほくはみなそらごとなり。
一寸先は闇という人生にあって、一度や二度は、根本的なキャリア・チェンジが求められる機会はあるはずだ。そういうとき、ニートを選択するしかないはずである。転換先のキャリアの専門性が高ければ高いほど、「働きながら力をつける」なんてことは容易にはできないはずだ。ニートにはキャリア・チェンジのバッファという側面があるわけで、それを排除してしまったら、じつに選択肢の少ない世の中になってしまうはずである。
そして、ニートをめぐる言説がいかに歪められ、そこに多くのメディアや御用学者が荷担してきたかを知れば、わかりやすい主張というのは、それだけでウソかデタラメという証拠であることが実感できるはずだ。
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