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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月12日

 1993年5月、フランス語会議室に登場したM村さんという人がフランスのInternetについて質問していた。M村さんは北海道の大学教員で、その年の秋からフランスに研究留学をする予定だった。すでにインターネット・メールなどを利用していたため、それをフランスでも利用できるのかどうかを知りたかったわけである。
 1993年の時点で日本の最もポピュラーな電子メールはインターネットではなく、NIFTY-ServeとPC-VANのメールであった。どちらの事業者も会員数は100万を越えていたし、メールに関しては相互乗り入れが図られていたので、実用性の点ではインターネット以上だったのである。
 一方、日本でもWide Projectという実験のもと、いくつかの研究所間でインターネットが用いられるようになっていた。そしてNIFTY-ServeでもWideとの共同実験を進めており、プロジェクト参加機関とのみ、インターネット・メールの交換ができるようになっていたのである。たしか当該機関数は13(!)であったと記憶している。
 インターネットのことは在職中にアメリカ人の同僚から聞いていたので、電子メール、telnet、ftpの仕組みについては知っていた。また、1988年にフランスのINRIAを訪問した際、交換した名刺にインターネット・メールのアドレスが入っており、それが何なのかを尋ねたことがある。とはいえ、わたし自身はインターネットを具体的に利用したことはなかった。ネットワークといえばパソコン通信が圧倒的にメジャーだったのである。


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