過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
姉夫婦が夏休みを利用して遊びに来た。この夏、日本は異常気象で野菜価格が高騰していたとかで、姉たちは「とにかく野菜を食べたい!」と叫んでいた。到着翌日に近所の常設市場の場所を教えたところ、以降、自分たちで大量の野菜を買い込んでは、サラダにして食べまくっていた。フランスはあちこちから農産物を輸入しているため、多少の気候変動があっても、なにかが突然高騰するということは少ないようだ。それ以前に、多少高騰したところで、元の値段が日本よりも圧倒的に安いので、日本人は高いと実感できないだろう。
姉の友人が結婚してスイスのベルンに住んでいるので、我らともども遊びに行くことになっていた。その友人は、姉が劇団の研究生をしていたころの同期生だ。演劇をやる前は日航でアテンダントをやっていて、姉とおなじ劇団の研究生を辞めたあとは、演劇の勉強をするために単身ニューヨークに行ったという経歴の持ち主である。わたしも何度か面識があった。テンポよくポンポン突っ込んでしゃべるタイプの人だった。
パリからジュネーブまでTGVで移動し、ジュネーブからベルンまでは在来線を利用した。切符は姉夫婦に日本で手配しておいてもらった。航空機こそ使っていないが、我ら夫婦にとってはフランス在住後、一時帰国を除けば初めての「国外」旅行である。
ベルンの駅では姉の友人が出迎えてくれた。家は駅からバスで10分ほどのところにある。ダンナさんはベルン出身のスイス人で、二人のあいだには男の子が二人。我ら一行4人を含めて夕食は8人という大人数だったが、全員が共通してしゃべれる言語が一つもないという状況だった。そんななかでいちばん器用な「使い分け」をしていたのはダンナさんで、わたしとはフランス語、子どもたちとはドイツ語、他のひとたちとは英語である。そもそもこの一家、夫婦の会話は英語、母子の会話は日本語、父子の会話はドイツ語なのだった。
翌日、ルツェルンの街を訪れた。14世紀に造られたカペル橋を渡ることもできた。この橋、我らが訪れた一週間後ぐらいに火事で大被害にあったので、元の姿を見ることができたのはラッキーといえなくもないのだが、素直に喜べないことである。
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