過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
1992年当時、一般個人がパソコンを使ったコミュニケーションを楽しもうと思ったら、まだパソコン通信しかなかった。もちろんインターネットはすでに存在していたが、それは一部の研究者が利用する公的なネットワークにすぎず、商用サービスは(少なくとも日本では)始まっていなかったのだ。パソコン通信にしたところで、けっして誰もが手軽に楽しめる、という状況ではなかった。通信に必要なモデムは高価で、しかも2400bpsのスピードしかなかった。この時期、電子メールを使っているといっても、ほとんどの人には「?」だったのである。
1992年当時の国内最大手のパソコン通信事業者はNIFTY-Serveであった。会員数ではNECのPC-VANがうわまわっていたが、サービスの充実ぶり、積極的な利用者数はNIFTY-Serveがうわまわっていたと考えられる。わたしは当初、米国のCompuServeを利用したいと思い、会社に申請してアカウントを申し込んだ。そのときの代理店がニフティ社であり、CompuServeのIDのオマケとしてNIFTY-ServeのIDも付いてきたのである。しかし、あくまでも利用目的はCompuServeを利用してオンライン・データベースにアクセスすることだった。たしか1988年のことだったと記憶している。
その後、1991年ごろから仕事の合間にNIFTY-Serveのいくつかの「フォーラム」を覗くようになった。フォーラムとは、一つのテーマに沿って設定された電子会議室の集合のようなものである。91年の時点でNIFTY-Serveの会員数は100万人程度、参加者の多いフォーラムの電子会議室では、かなり活発なコミュニケーションがかわされ、いわゆる「オフ」もしばしば開催されていた。
わたしが最初に参加したのは「コミック・フォーラム」であった。1991年の年末、フランスの大学院への登録許可が降り、翌92年の夏からパリで暮らすことが決定してからは、フランスやフランス語の情報を収集するため、当時の「外国語フォーラム」に参加するようになったのである。
いまでは考えられないことだが、91〜92年当時は国際データ通信への規制は厳しく、海外からNIFTY-Serveにアクセスするのは相当困難なことだった。しかし、当時の外国語フォーラムのメンバーの一人より、Tymepassという国際データ通信サービス事業者が「実験的」にフランスを含む海外からNIFTY-Serveなどに接続するサービスを行っていることを教えてもらった。そのおかげで、わたしはパリで暮らすようになってからも、日本の人たちと交流を続けることができたのである。
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