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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月08日

 長期滞在開始後、最初の元旦は学校の同級生宅で迎えた。日本と違い、ヨーロッパでは元旦も祝日のひとつにすぎず、大晦日は平日なら店も平常営業、1月2日も同様なので、年末年始を休み慣れた日本人には、ちょっと違和感を覚えるところだ。ただ、新年を迎える瞬間はヨーロッパの人たちも盛大に祝う。巴里の住宅地でも、年越しの瞬間はあちこちでシャンパンの栓を抜いたり、窓を開け放って「おめでとう!」と絶叫する人もいる。
日本の大晦日の恒例TV番組がNHKの紅白歌合戦なら、フランスはキャバレー・クレイジーホースのヌードショーである。この番組を、友人Marie-Pierreの自宅でのんびり見ていた。彼女の家には剽軽者のThomasやモロッコ人Abdelたちも招かれていた。つくづく級友に恵まれたと思ったものである。
 じつは、巴里で新年を迎える8時間前に、もうひとつの年越しを経験していた。NIFTY-Serveにアクセスし、いくつかのフォーラムでチャットに参加していたのである。とりわけコミック・フォーラムは日頃からチャット参加者が多く、このときはピーク時に90人以上が「雑談」を繰り広げていた。新年の瞬間には、チャット参加者をリストアップするという「記念撮影」も行われた。
この日わたしは、コミック・フォーラムと外国語フォーラムのチャット・ルームとを何度も行き来した。他の人たちも似たようなもので、ルームを退出するとき、たいていの人は「ちょっと年始まわりに行ってきます」といったメッセージを残していった。チャットとはいっても、感覚的には宴席をハシゴするような気分が味わえたのである。
この年のことだったかどうかは失念したが、ある時、フランス、ドイツ、アメリカのメンバーがチャットで偶然居合わせたことがある。インターネットが普及した現在、こういうことはめずらしくもないが、1993年というインターネット普及以前の時代に、日本というローカルな地域の事業にすぎないNIFTY-Serveに世界各地の人間が「集まる」という現象は、ネットワークがもたらす不思議な感覚を実感させたものである。


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