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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
1994年も年末に入ったころ、ようやくインターネットが身近な存在になってきた感じである。もちろんまだ世の中のパソコンはMS-DOSが主役だった。Windows 3.1はすでに登場していたと思うが、それほど決定的な存在ではなかったはず。すくなくとも日本では。なので、パソコンの多くはインターネットには対応できない。以前としてこれはUnixワークステーションの世界だったのだ。その点、この時点ですでにMacには最初からEthernetのポートが付いていたし、TCP/IP環境もDOS/V系よりはマシだったと記憶している。
ただ、情報収集という点では、CompuServeの方が効果的という印象が強かったので、あえてインターネットを利用するメリットはそれほどないと思っていた。もちろん研究機関ですでにftpやnewsgroupをばんばん使っていた人は別意見だったろうが、すくなくともビジネス用途では、依然、パソコン通信のサービスが優勢だったのだ。
このころがもしかするとパソコン通信の最盛期だったかもしれない。一年前だったと思うが、単行本の原稿を書くために、日本やフランスの「草の根BBS」を調べ、そのうちのいくつかには接続したことがある。草の根BBSとは、いまのインターネット環境でいえば個人が管理するサーバのようなものだ。ただし、当時はブロードバンドの常時接続といったものはなく、草の根BBSのホスト・コンピュータというのは、普通のパソコンに普通のモデムをつなぎ、それを電話回線につないだだけのものだったのである。利用者が接続するときは、その回線に電話をかけるのである。そうすると、先方のモデムが反応してホスト側のパソコンにつながる、というわけである。
当然ながら、遠いところに置かれた草の根BBSに接続するためには、そこまで長距離電話をかけなければいけない。また、外国の草の根BBSにつなぐには、国際電話をかける必要があるわけだ。接続時間中は、通常の通話とおなじだけの電話代が発生する。当然ながら接続するのは市内料金の範囲だけ、となってしまがちで、だからこそ「草の根」なのである。
アスキーがまとめたリストによれば、ピーク時には日本だけで2000ぐらいの草の根BBSがあったはずである。大きいものだと会員数が2000人以上、小さいものだと数人、というものもあった。活動内容は、最近のblogに近いものがあったように思う。
フランスにもいくつかの「草の根BBS」があり、二つほど試しに接続したことがあった。名前は失念したが、ゲストとしてアクセスしただけでは、掲載メッセージの一部を読めるだけだった。すべてを読むためには、ホストに連絡してアカウントを作ってもらう必要があったのだが、さすがにそこまではやらなかった。
草の根BBS間でメッセージを交換するために、FIDO-Netという仕組みがあったやに記憶している。しかし、その仕組みが広がるよりも早く、インターネットのWWWが普及してしまったわけだ。
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